大阪高等裁判所 昭和40年(う)1476号 判決 1965年12月14日
被告人 野口幸一
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月に処する。
理由
本件控訴の趣意は、大阪区検察庁上席検察官検事吉川芳郎作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人安村幸作成の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
よつて案ずるに、原判決が、検察官所論のような窃盗の事実を認定したうえ、同所論摘示の各法条を適用し「被告人を懲役一〇月に処する。ただし、本裁判確定の日から五年間、右刑の執行を猶予する。右猶予期間中、被告人を保護観察に付する。」旨言い渡したことは、記録上明白である。しかし、当審において取り調べた検察事務官作成の昭和四〇年七月六日付前科調書、判決謄本並びに大阪保護観察所長から大阪区検察庁検察官にあてた「保護観察実施中の者の刑執行猶予言渡について通報」と題する書面によると、被告人は、昭和三九年九月二四日大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年(未決勾留日数三〇日算入)、三年間執行猶予、右猶予期間中保護観察に付する旨の判決言渡を受け、右判決は同年一〇月九日確定したが、その保護観察については未だ仮解除の処分がされていないことが認められる。従つて、被告人の本件犯行は、保護観察期間内の行為であつて、刑法第二五条第二項但書の規定により、被告人に対しては刑の執行を猶予することができないのである。
『弁護人は、本件犯行が、検察官主張のような保護観察期間内の行為であるという点は、原審において現われておらない、控訴審が事後審である以上、判断の基準は原審の終結時であり、判断の対象は訴訟記録及びその時までに取り調べられた証拠に現われている事実に限られ、ただ法の許容する特別の場合に限り右の例外が認められているが、本件控訴は右のいずれの場合にもあたらないのみならず、検察官の主張する第二次判決は遅くとも原審判決以前において検察官が容易に取調を請求し得たものであつて、検察官の怠慢に起因するものであるから理由がない、と主張する。原審において取り調べた検察事務官作成の昭和四〇年五月一三目付前科調書には、被告人は、昭和三九年六月二五日大阪地方裁判所において窃盗罪により懲役八月、二年間執行猶予の判決言渡を受け、右判決は同年七月一〇日確定した旨の記載があるだけで、被告人には、右前科のほか、前記認定のような前科があり、本件犯行が保護観察期間内の行為であるとの点について、訴訟記録及び原審において取り調べた証拠に現われていないことは、所論のとおりであり、執行猶予言渡の障害となるべき第二回目の保護観察付執行猶予の前科に関する資料を第一審の弁論終結前に提出せず、第一審において執行猶予を言い渡したのちにおいて、検察官が右の前科を発見し、原判決が法令の適用を誤つていると称して控訴の申立をすることは、被告人にとつてはなはだ酷であるのみならず、訴訟手続として妥当を欠くことは多言を要しない、しかし、被告人は、司法警察職員並びに検察官に対し第一回の執行猶予の前科のみ供述し、所論の第二回目の前科についてはこれを供述しなかつたこと、検察官提出の大阪地方検察庁採証課長作成の「前科調書の前科記載洩れについて」と題する書面によると、大阪区検察庁の担当係員が昭和三九年二月以降肺結核のため長期欠勤中であつたうえ、同年一一月には他の担当係員が死亡したため、昭和三九年の既決犯罪通知書作成事務が相当期間渋滞し、被告人の前科についてもその記載が遅延し、原判決後ようやく検察官において右前科を発見したことが認められ、検察官が、原審弁論終結前に、法律上刑の執行猶予言渡の障害となるべき被告人の前科に関する証拠の取調を請求することができなかつたのは、やむを得ない事由によると考えられる。かような場合、検察官は、控訴審において、あらたに前科に関する証拠の取調を請求することができ、控訴裁判所は、右請求による証拠を取り調べ、これを原判決の当否を判断する資料とすることができるものと解すべきである。なんとなれば、現行刑事訴訟法上控訴審は事後審であつて、とりわけ量刑不当、事実誤認を理由として控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実を援用することが要求されているのであるから、当事者は、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実についての証拠に限りその取調を請求し得るものとし、やむを得ない事由によつて、第一審弁論終結前に取調を請求することができなかつた証拠によつて証明することのできる事実及び第一審弁論終結後判決前に生じた事実については、例外として、刑事訴訟法第三八二条の二、第三九三条第一項但書によつて、控訴趣意書にこれを援用し、その証拠の取調を請求することができることにしているが、同法条は、法令適用の誤を主張するばあいについて規定を設けていない。従つて、所論のように、本件は例外のばあいに当らないという議論も立ちうるようであるが、法が、法令適用の誤を主張するばあいについて特に規定を設けなかつたのは、通常のばあいその必要がないと考えられたためであつて、これを禁止する趣旨ではないと解すべきである。ところで、本件控訴は、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われていない執行猶予の障害となる前科がある事実を援用し、執行猶予の言渡をした原判決に法令適用の誤があることを理由として申し立てたものであつて、事実誤認又は量刑不当を理由とする控訴申立ではないが、執行猶予の障害となる前科があるか否かということは、原審のした執行猶予に関する法令適用の当否を判断するための前提となる事実問題であり、事実誤認又は量刑不当を控訴理由とするばあいに準じて取り扱うことは、検察官の上訴を制限しない日本の刑事訴訟制度下における解釈運用として違法であるとはいえない。しかし、控訴審において、かような事実点に関し新たな証拠をなんらの制約なしに取調を請求することは、事後審たる控訴審の性格にかんがみて条理上相当でないから、やむことを得ない理由によつてその証拠の取調を請求することができなかつたことが疎明されなければならないことはいうをまたないところである。そして、検察官の疎明によれば、やむを得ない事由によつて第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつたことが一応認め得られるから、弁護人の主張は結局理由がない。』そうすると、原判決が、被告人に対し、保護観察付執行猶予の言渡をしたのは、前科に関する事実を誤認し法令の適用を誤つたというほかなく、かつ、その誤は明らかに判決に影響を及ぼすものであるから、論旨は理由があることになる。
よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により当裁判所において更に判決することとし、原判決の認定した事実にその挙示する法条(ただし、刑法第二五条第二項本文、第一項、第二五条の二第一項後段を除く)を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山崎薫 竹沢喜代治 浅野芳朗)